中國(guó)南西部で新たな発見(jiàn) 人類の活動(dòng)史が5.5萬(wàn)年前にさかのぼる
ソース:中國(guó)國(guó)際放送局作者: 2024-01-17 15:28
中國(guó)南西部の貴州省文物考古研究所、中國(guó)科學(xué)院古脊椎動(dòng)物?古人類研究所はこのほど、最新の研究成果として、貴州省の穿洞遺跡における発掘調(diào)査の結(jié)果を発表しました。
穿洞遺跡は貴州省安順市中心部から北に26キロ離れた同市普定県の郊外にあり、発掘済みの地層の下から新たな遺跡の層が発見(jiàn)されたのことです。新たに調(diào)査された遺跡の年代は舊石器時(shí)代の中期末から後期、新石器時(shí)代に及んでおり、普定地區(qū)の古い人類の活動(dòng)史が5萬(wàn)5000年前にさかのぼることが明らかになりました。
発掘現(xiàn)場(chǎng)
この発見(jiàn)は、貴州地域の人類活動(dòng)史を補(bǔ)充するだけでなく、約5萬(wàn)5000年前の「穿洞人」を再認(rèn)識(shí)し、貴州高原の舊石器時(shí)代中期と後期の文化とその分布、現(xiàn)代人の起源、中國(guó)南西部での早い時(shí)期における人類の適応戦略の転換、先史時(shí)代の文化交流などの學(xué)術(shù)問(wèn)題を探求する上で重要な意義があります。
発掘面積は40平方メートルで、出土品がある遺跡層の厚さは6メートルを超え、石器1萬(wàn)點(diǎn)余り、骨?角製品2500點(diǎn)余り、動(dòng)物の骨10萬(wàn)點(diǎn)余りが見(jiàn)つかりました。同遺跡は現(xiàn)在のところ、中國(guó)ひいては東アジア全體で、出土した磨製骨器の數(shù)が最も多く、種類が最も豊富であり、中國(guó)の先史時(shí)代の磨製骨器の起源や技術(shù)の特徴、時(shí)空分布の枠組みの探索、さらに東南アジアや歐州、アフリカの同類の考古學(xué)出土品との比較研究に極めて系統(tǒng)的で全面的な材料が提供されました。
フォークの形の骨器
遺跡ではそのほかにも、舊石器時(shí)代末期から新石器時(shí)代初期への移行段階にある墓3基が発見(jiàn)され、未成年の下顎骨2點(diǎn)と成人の頭蓋骨1點(diǎn)、副葬骨器2點(diǎn)、骨製釣り針1點(diǎn)が出土し、同地域の先史時(shí)代の人類の身體の特徴および埋葬慣習(xí)の研究の重要な資料が得られました。さらに今から1萬(wàn)年ほど前の「二次葬」の発見(jiàn)により、中國(guó)南部での埋葬の変遷の研究にも重要な手がかりを得ることができました。二次葬とは原始社會(huì)に普及していた、死者の骨を2回以上埋葬することで、多くは場(chǎng)所を変えて埋葬することが顕著な特徴です。
ホモ?サピエンスの臼歯の化石
また、遺跡の第11層からはホモ?サピエンスの臼歯の化石1點(diǎn)が発見(jiàn)されました。年代は5~6萬(wàn)年前と推定され、この発見(jiàn)により貴州地域の過(guò)去の古い人類研究の空白期間が埋められました。
穿洞遺跡は1978年に発見(jiàn)され、1979年に試掘が行われ、1981年と1982年と2回の考古學(xué)調(diào)査が行われていました。當(dāng)時(shí)の調(diào)査では石器や骨器、動(dòng)物の化石と人の化石が1萬(wàn)點(diǎn)以上、骨角器が1000點(diǎn)以上、人類の完全な頭蓋骨が2點(diǎn)出土し、當(dāng)時(shí)としては中國(guó)で唯一で、世界でも珍しかった、磨製骨器が最も多く出土しました。貴州省文物考古研究所、中國(guó)科學(xué)院古脊椎動(dòng)物?古人類研究所は2022年に、40年ぶりとなる3回目の考古學(xué)発掘調(diào)査を共同で実施しました。
編集:董麗娜
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